鳥獣戯画展

4月28日(火)より6月7日(日)まで、東京国立博物館において特別展「鳥獣戯画─京都 高山寺の至宝─」 が開催されます。
有名な絵巻、国宝・鳥獣戯画ですが、全巻の修理を終え、鳥獣戯画の全貌を紹介するそうです。鳥獣戯画の伝来した京都・高山寺は、鎌倉時代のはじめに明恵上人によって再興され、今なお多くの文化財が伝わります。この展覧会では、高山寺ゆかりの至宝とともに、明恵上人の信仰と深く関わる美術作品を、かつてない規模で展観するそうです。

先日、「国宝・鳥獣戯画と明恵上人ゆかりの美術」という講座が開催され、講師の東京国立博物館研究員の土屋貴裕さんから、さまざまなお話を拝聴してきました。
明恵上人については、多くのエピソードが残され、非常に興味深く講座を拝聴することができました。

日本は大陸と隔する島国であり、そのため日本独自に発展したさまざまな文化があります。
鳥獣戯画も謎の多い絵巻です。
日本に現存する貴重な作品です。是非、足を運ばれては如何でしょうか。
※下部に、明恵上人の説明を添付します。(東京国立博物館 特別展「鳥獣戯画―京都 高山寺の至宝―」より、一部抜粋)

高山寺中興の祖 明恵上人
高山寺を中興した明恵上人は、平安時代末期の承安3年(1173)、紀州有田郡で生まれました。父平重国は武士で、明恵が8歳のときに戦死。間もなく、叔父の上覚について京都・神護寺に入り、名を成弁(後に高弁)と改めます。神護寺では文覚や上覚のもとで真言密教を学び、さらに東大寺で華厳教学を修します。その後紀州有田で10年ほど修行し、高山寺に移りました。高山寺では、求法のため自らに厳しい修行を課すとともに、多くの後進を育て、承久の乱により身寄りを失った女性たちを保護するなど、実践的な宗教活動を行ない、乱世に救いを求める多くの人びとに慕われました。
こうした明恵の生涯は様々なエピソードで彩られています。19歳頃から生涯にわたって夢の記録を残し、多くの和歌を詠み、紀州では、求道のため右耳を切り落とし、釈迦への追慕の念から天竺(今のインド)への渡航を企てました。また、信仰の基盤となった密教と華厳教学を融合した独自の思想を確立するとともに、明恵および明恵を師と仰ぐ人びとによって、彼の思想を反映した美術作品が生み出されました。高山寺、そして明恵ゆかりの美術作品は、数ある日本の仏教美術の中でも極めて個性的で、独自の地平を切り拓いています。